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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)149号 判決

京都市下京区松原通室町西入中野之町176番地

原告

福田金属箔粉工業株式会社

代表者代表取締役

福田健

神奈川県藤沢市石川1159番地

原告

ペルメレツク電極株式会社

代表者代表取締役

島田誠

両名訴訟代理人弁護士

中村稔

熊倉禎男

辻居幸一

宮垣聡

同弁理士

浅井賢治

宮川佳三

東京都港区虎ノ門2丁目10番1号

被告

株式会社ジャパンエナジー

(旧商号・株式会社日鉱共石)

代表者代表取締役

長島一成

訴訟代理人弁護士

三宅正雄

訴訟復代理人弁護士

野口政幹

訴訟代理人弁理士

並川啓志

主文

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第1  当事者が求める判決

1  原告ら

「特許庁が平成4年審判第8582号事件について平成6年4月20日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告ら(審判被請求人ら)は、名称を「電解銅箔の製造装置」とする特許第1625212号発明(昭和60年7月1日特許出願、平成1年11月29日出願公告、平成3年11月18日設定登録。以下、「本件発明」という。)の特許権者である。なお、本件発明の特許権は原告福田金属箔粉工業株式会社に属していたが、同原告は平成5年4月1日、特許権の持分2分の1を原告ペルメレツク電極株式会社に移転し、同年6月28日、その旨が登録された。

被告(審判請求人)は、平成4年4月30日、本件発明の特許を無効とすることについて審判を請求し、平成4年審判第8582号事件として審理された結果、平成6年4月20日、「特許第1625212号発明の特許を無効とする。」との審決がなされ、その謄本は同年6月1日原告らに送達された。

2  本件発明の要旨

電解銅箔を製造する装置において、Ti、Ta、Nb、Zrの弁金属基体表面に、酸化イリジウムを含有する被膜を被覆した電極を不溶性陽極として使用することを特徴とする、電解銅箔の製造装置。(別紙図面参照)

3  審決の理由の要点(なお、審決中の「PbO」は「PdO」の誤記と認められるので、訂正した。)

(1)本件発明の要旨は、特許請求の範囲に記載された前項のとおりのものと認める。

(2)これに対し、被告は、本件発明はその特許出願前に日本国内又は外国で頒布された下記の刊行物に記載された技術的事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと主張した。

〈1〉 Industrial Opportunities Ltd 1980年2月発行「RESEARCH DI SCLOSURE」Number190 77頁、78頁(甲第4号証。以下、「引用例1」という。なお、本判決において摘示する書証番号は、すべて本件訴訟におけるものである。)

〈2〉 米国特許第4318794号明細書(1982年3月9日発行)

〈3〉 社団法人日本化学会昭和54年4月1日発行「化学と工業」第32巻第4号72頁ないし74頁(頁中央下の頁数で表示。甲第5号証。以下、「引用例2」という。)

〈4〉 昭和60年特許出願公告第22074号公報(昭和60年5月30日公告。乙第1号証)

〈5〉 昭和60年特許出願公告第21232号公報(昭和60年5月25日公告。乙第2号証)

〈6〉 昭和58年特許出願公開第171589号公報(昭和58年10月8日公開。乙第3号証)

(3)引用例1には、index 19045「銅箔の電着」と題して、下記の事項が記載されている。

a この開示は、電着により銅箔を製造する方法及び装置に関係する。銅分を含有する電解液中に部分的に浸漬された移動円筒表面を、該円筒表面を隣り合う陽極に対して陰極側として使用することにより連続長の銅箔を製造することは確立された実施法である。この場合、生成する箔は、前記陰極表面に付着され、そして続いてそこから剥離される(77頁左欄下から17行ないし10行)。

b しかし、陰極及び電解液流れに対する改善とはかかわりなく、例えば可溶性銅、鉛或いは鉛合金製となしうる慣用の陽極自体が電着プロセスにおいて幾つかの問題を引き起こす傾向がある。例えば鉛陽極の表面は、電着プロセス中電導性の被膜で覆われるようになり、これが酸素の影響下でエロージョンを起こしそして電解液中に粉状に砕けて入り込む。生成する粒子は、濾過されなければ、陰極表面に付着するようになって、電着銅箔中にノジュールを生ぜしめ、またはそこに孔を形成する。更に、陽極の腐食或いは摩損は、その速度が電解液中の塩化物不純物の量に非常に敏感であって、陽極と陰極との間隔の増大をもたらし、それゆえ、極間部位を作用状態とするに必要な電力が増大する。鉛陰極はアンチモン或いは銀で合金化された場合でも、自身の重量で流動する傾向があり従って使用中歪むようになり、そのため陽極一陰極間隔の寸法に更に悪影響を及ぼし、そして不均一な箔をもたらす(77頁左欄下から5行ないし右欄14行)。

c いまここに、電着により銅箔を製造するための装置が、回転自在の陰極ドラムと、該ドラムに隣り合って設置される陽極と、電着のための電解セルを形成するよう陰極ドラムと陽極との間に銅分を含む電解溶液を提供する手段と、陰極ドラム上に付着した銅箔を除去するための手段とを包含し、その場合前記陽極を弁金属から成る基体と、該基体上に付着した、白金、ルテニウム、ロジウム、タンタル、イリジウム、パラジウム、オスミウムなどの酸化物の単体または混合体のような金属酸化物層、或いは、白金と、ナトリウム、リチウム、銀またはカリウムのような一価金属との非化学量論酸化物のような金属酸化物層とを含む、実質上寸法的に安定な構造体として構成することが可能であることが見出された(77頁右欄15行ないし26行)。

d 陽極の弁金属体は、好ましくは、チタンであるが、例えば、タンタル、タングステン、ジルコニウム、ニオブ或いは、これらの金属の少なくとも1種を主成分とする合金製とすることができる(77頁右欄46行ないし48行)。

e 生成する陽極は、実質上寸法的に安定であり、電解液中の塩素分により悪影響を受けず、そして電解液中に固有に不溶性である。従って、陽極と陰極との間隔は一定に保たれ、もってこれらにより形成されるセルを作用化するのに必要とされる電力も一定に維持される(78頁左欄3行ないし7行)。

f 例

徐々に回転するチタン製ドラムを備える銅箔製造装置において、約50%のNa及び約50%のPt3O4を含むNaPt3O4の幾つかの層で被覆された、近接する陽極を、次の組成を有するメッキ液中に侵漬される陰極ドラムの円周のほぼ半分に沿って近接した状態で配設した:

Cu++ 100gm/L

H2SO4  110gm/L

温度 60℃

電流密度 45A/dm2

こうした条件下で、4.0の始動電圧を得た。箔の品質は優れており、ノジュールや孔は存在しなかった。800時間のメッキ後も、電圧は同じに保たれ、そして箔の品質は変化せず維持された(78頁左欄18行ないし32行)。

(4)本件発明と引用例1記載のものとを対比すると、両者は、電解銅箔を製造する装置において、Tiの弁金属基体表面に、被膜を被覆した電極を不溶性陽極として使用することを特徴とする、電解銅箔の製造装置である点[摘示c、e、f参照]において一致し、本件発明が該被膜を酸化イリジウムを含有する被膜と特定しているのに対し、引用例1記載のものの被膜は、NaPt3O4である点[摘示f参照]において相違する。

(5)判断

上記相違点について検討すると、引用例2には、“新しい電解用電極材料の動向”という表題のもとに、DSEまたはDSAと呼ばれる貴金属複合酸化物被覆チタン電極は、“「寸法安定」という商標が示すとおり、黒鉛電解板のようにわずかではあるが酸化消耗し、機械的にも崩壊する欠点のない金属系電極であり、腐食性の塩素イオンが存在しても酸化状態では耐食性がすぐれているチタニウムを基体とし、その表面にルテニウムとチタンの塩類を塗り約500℃、酸化性ふん囲気中で熱分解しチタンの表面に塩素発生反応に対する電極触媒能と耐ナトリウムアマルガム性では比類のないRuO2-TiO2固溶体を数μの厚さにコーティングしたものである。”(73頁左欄19行ないし36行)、及び、”RuO2系DSEは、隔膜法では数年以上のライフとなり、文字通りの「永久電極」となったが、(中略)石油化学用には使用困難で液化精製や不活性ガスの使用などを必要とする不都合が生じた。この問題はコーティング材組成を酸素発生を抑制するように改良すれば解決するので、RuO2-TiO2コーティングに代わるPt-Ir系、国内技術によるPt-Ir-Rh系やおなじ酸化物でも酸素発生を抑制した国内技術によるPdO系コーティングなどで酸素濃度の低い塩素ガスを得ることができる。”(73頁右欄(註を除き)下から7行ないし74頁左欄5行)と記載され、このことから、本件発明と同じくチタン基体表面に貴金属酸化物を被覆した電極には、従来から、酸化イリジウムを含めて、種々の貴金属酸化物が被覆層として使用されていたことが知られるとともに、引用例2には、さらに、“しかし、チタニウムのはん用性や表面のRuO2が水銀法ソーダ電解ではベストなコーティング材である有利さがあっても、食塩濃度の低い海水電解や、次亜鉛素酸ソーダの電解製造などでは塩素発生率の低下、耐久性などで不満が現われ、Ir系やPdO系に劣っている。また酸素発生時には耐久性がなく、硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である。”(74頁左欄28行ないし35行)と記載され、硫酸を電解液とする系においてはIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料であることも開示されている。

一方、引用例1には、“陽極を弁金属から成る基体と、該基体上に付着した、白金、ルテニウム、ロジウム、タンタル、イリジウム、パラジウム、オスミウムなどの酸化物の単体または混合体のような金属酸化物層(中略)を含む、実質上寸法的に安定な構造体として構成することが可能であることが見出された。”[摘示c参照]とあるように、具体的に用いた例はないものの、弁金属からなる陽極基体を酸化イリジウムの被膜で被覆することが開示されており、しかも、引用例1の電解銅箔製造装置においても、電解液は硫酸系であるから[摘示f参照]、この引用例1の開示に、“硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である”との引用例2の上記記載を加味して、列挙的に挙げられた金属酸化物の中から酸化イリジウムを選択して被膜とすることは、当業者ならば特段の創意工夫なくして容易に想到するところである。

この点に関し、原告らは、引用例1は、電極材料として公知の金属酸化物を単に思いつくままに列挙したにすぎず、引用例1記載の多数の基体及びその被膜として挙げられている多数の金属酸化物のすべての組合わせについて実験を行い、それぞれの組合わせにより得られる効果を確認することは当業者にとっても実質的に不可能であり、引用例1の記載からは本件発明の構成も効果も到底想到も予測できるものではない旨主張している。

しかしながら、引用例1において、電極基体となる弁金属の中で、好ましいものとして挙げられているTi[摘示d参照]は、本件発明に含まれるものであり、かつ、引用例2には、硫酸系では酸化イリジウムが好ましい旨が記載されているのであるから、基体としてのTiと、被膜としての酸化イリジウムとを組み合わせることが、実質的に不可能であるほど困難であるということはできない。

しかも、引用例1に記載されている電解銅箔の製造装置は、ノジュール(異常析出物)や孔(ピンホール)の発生、ならびに、陽極一陰極間隔の変化に基づく箔の不均一という従来技術の問題点を念頭に置くもの[摘示b参照]であり、実例においても、ノジュールや孔の存在しない銅箔が得られている[摘示f参照]のであるから、「ピンホールとか異常析出物がなく、しかも幅方向の箔厚むらのない電解銅箔の製造を可能にする」(本件発明の特許出願公告公報(以下「特許公報」という。)4欄28行ないし30行)という本件発明の効果も、当業者の予測しうる範囲のものである。

したがって、本件発明は、その出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物である引用例1及び引用例2記載の技術的事項に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるので、本件発明の特許は特許法29条2項の規定に違反してなされたものであり、同法123条1号(平成6年法律第116号による改正前)に該当する。

4  審決の取消事由

引用例1に審決認定の技術的事項が記載されており、本件発明と引用例1記載のものが審決認定の一致点及び相違点を有することは認める。

しかしながら、審決は、被告が申し立てない理由について原告らに意見を申し立てる機会を与えないまま審理した手続上の違法があるのみならず、引用例1及び2記載のものに基づいて本件発明の構成を推考することが困難であり、かつ本件発明はその構成によって顕著な作用効果を奏するものであることを看過して本件発明の進歩性を否定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)審判手続の違法

審判請求書において被告が申し立てた本件発明の特許無効理由のうち、進歩性の欠如に係るものは、引用例1の記載事項と乙第1ないし第3号証いずれかの記載事項との組合せによる想到容易性であって、引用例2は、他の引用例(米国特許明細書)の用語の意味を明らかにするために提出されたものであり、引用例1の記載事項と引用例2の記載事項との組合せによる想到容易性は、全く申し立てられていない。しかも、被告が審判手続において引用例2から援用した記載は、「1966年に…開発、実用化されたDSEまたはDSA(Dimenshonally Stable Electrode, Anode)とよばれる…貴金属複合酸化物被服チタン電極の出現で」(73頁左欄21行ないし26行)という箇所のみである。

しかるに、審決は、引用例2から、被告が援用する箇所とは論旨を全く異にする73頁左欄28行ないし36行、73頁右欄(註を除き)下から7行ないし74頁左欄5行、74頁左欄28行ないし35行の記載を採用し、引用例1の記載事項に引用例2の「記載を加味して」、本件発明の容易想到性を認めたものである。

しかしながら、原告らは、引用例1の記載事項と引用例2の記載事項とを組み合せることについて、意見を申し立てる機会を与えられていない。また、引用例2のうち被告が審判手続において援用した箇所以外の記載は、別個の証拠というべきであるのに、原告らは、審決が採用した箇所について意見を申し立てる機会も、与えられていない。

幾つかの刊行物の記載事項の組合せのうち審判請求人が申し立てていない組合せを採用するとき、あるいは、提出された刊行物のうち審判請求人が引用する箇所以外の記載を公知事項として採用するときは、不意打ちを防止するため、審判被請求人に意見を申し立てる機会を与えなければならないから、本件審判手続は違法であり、この違法が審判の結論に影響を及ぼすことは明らかである。

この点について、被告は、審判請求書(甲第16号証)には「本件特許発明は、甲第1号証ないし甲第6号証刊行物(註・審判手続における書証番号であって、甲第1号証が引用例1、甲第3号証が引用例2に相当する。)に記載された発明に基づいて容易に発明をすることができたものである」(4頁11行ないし13行)と記載されるとともに、甲号各証刊行物の全文が提出されているから、原告らには引用例2から審決が採用した記載部分、及びこれを引用例1の記載事項と組み合せることについて十分に反論の機会があったと主張する。

しかしながら、被告の主張に従えば、原告らは6の刊行物の記載事項の組合せ63とおりのすべてについて反論しなければならず、審判手続が無意味に複雑化することは明らかであって、不合理である。

なお、審判手続が職権探知主義を採用し、審決が対世的効力を有することと、特許法153条2項の規定を厳格に適用すべきこととは、相反するものではない。すなわち、特許を無効とすることについて最も利害関係を有する特許権者を審判手続に参加させ、充実した審理を尽くすことによってのみ、特許制度の健全な運営が確保され、審決の効力を対世的とすることが正当化されるからである。そして、審判手続において審理の対象となりうる審判請求の理由を余りに広く解釈すると、審判手続において争点となっていない点にまで特許法167条所定の再請求禁止の効力が及ぶことになり、同法153条2項の規定の趣旨が全く無視されることになる。

(2)進歩性の判断の認り

〈1〉 引用例1記載のものに基づく本件発明の構成の推考困難性

本件発明は、電解銅箔製造装置における陽電極の被覆材料として、酸化イリジウム系が顕著な作用効果を奏することを見出し、これを選択したことを特徴とするものである。そして、現在に至るまで、電解銅箔製造装置の陽極被覆材料として実用されているものは、酸化イリジウム系のみである。

これに反し、引用例1には、電解銅箔製造装置における陽極の被覆材料として、「白金、ルテニウム、ロジウム、タンタル、イリジウム、パラジウム、オスミウムなどの酸化物の単体または混合体のような金属酸化物層」、「白金と、ナトリウム、リチウム、銀またはカリウムのような一価金属との非化学量論酸化物のような金属酸化物層」が記載されている。この記載は、理論的には、白金酸化物、ルテニウム酸化物、ロジウム酸化物、タンタル酸化物、イリジウム酸化物、パラジウム酸化物、オスミウム酸化物の1又は2以上の組合わせ計127種類、白金ナトリウム酸などの白金族金属とナトリウムとの酸化物7種類、白金リチウム酸などの白金族金属とリチウムとの酸化物7種類、白金銀酸などの白金族金属と銀との酸化物7種類、白金カリウム酸などの白金族金属とカリウムとの酸化物7種類の、合計155種類のものを、実験的裏付けもなく、全く同列に挙げていることになるが、これらの金属酸化物には、技術的に何らの共通性も見出すことができない。しかも、その中には、電解銅箔製造装置における陽極の被覆材料としてはおよそ使用できないバルブ金属であるタンタルの酸化物や、工業的には使用できないルテニウム酸化物・パラジウム酸化物等も含まれていることから明らかなように、引用例1は、当業者が参考とするに足りない杜撰な内容のものといわざるをえない。

したがって、引用例1は、本件発明の構成を何ら示唆するものではなく、同引用例の記載から、酸化イリジウム系のみが電解銅箔製造装置における陽極の被覆材料に適すると想到することは、当業者といえども不可能である。

〈2〉 引用例2記載の技術内容の誤認

a 工業電解の種類は非常に多く、その製造条件(電解液の種類・温度、電流密度、発生ガスあるいは添加物の種類等)は極めて多様であるが、とりわけ陽極の被覆材料は、目的とする製品に対応して個別的に決定しなければならない。そして、電解銅箔の製造は工業電解の中でも特殊な分野であるうえ、本件発明は明細書に繰り返し記載されているように、18μという極めて薄い電解銅箔を高品質かつ高収率で得ることを目的とするものであるから、その陽極の被覆材料の決定には格別の検討を要する。

しかるに、引用例2には、電解用電極材料に関する概括的記述があるのみであって、電解銅箔の製造装置における陽極の被覆材料については、何らの示唆もなされていない。審決が引用例2から引用する「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材である。」(74頁左欄33行ないし35行)という記載も、これに続く「これらの貴金属および貴金属複合酸化物系でコーティングした場合は、溶液中のわずかな(中略)有機物の存在で急速に侵される。(中略)今後の究明と改良が要望されている。」(同欄35行ないし40行)との記載と相俟って、貴金属及び貴金属複合酸化物系は、硫酸系においてはいずれも耐蝕性に欠けるものとして、その使用可能性が否定されているのであるから、「硫酸系溶液では酸化イリジウムが好ましい旨、引用例2に記載されている」とした審決の認定は、誤りである。

b のみならず、審決は、引用例2の「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材である。」(74頁左欄33行ないし35行)という記載をそのまま採用しているが、この「IrO2系」という記載は「Ir系」の誤記であるから、この記載を本件発明の進歩性を否定する論拠とするのは誤りである。

すなわち、引用例2の74頁左欄28行ないし35行は電極の耐久性を論じた箇所であるが、電解反応によって発生する酸素(O2ではなく、O)が極めて腐食性が強いものであるという技術的観点を前提にすると、電極の耐久性を考えるに当たっては、電解液が塩酸系か硫酸系かということはさほど意味がなく、酸素発生量の多寡に注目して判断すべきである。そうすると、引用例2の上記箇所は、

イ 酸素がほとんど発生しない水銀法ソーダ電解では、RuO2がベストなコーティング材である、

ロ 酸素と塩素の双方が発生する、食塩濃度の低い海水電解や次亜塩素酸ソーダの電解製造などでは、RuO2は、Ir系やPdO系に劣る、

ハ 酸素が大量に発生する硫酸系のときは、PdO系はIr系に劣り、Ir系が貴金属系唯一のコーティング材である

という趣旨に理解するのが自然であって、「IrO2系」が、文脈の最後に唐突として現れるのは不自然といわざるをえない。のみならず、同欄35行に「貴金属および貴金属複合酸化物系」、同欄41行に「貴金属系酸化物」と記載されていることからすれば、上記ハの「貴金属系」は文字通り「貴金属系」であるIr系のみを指し、「貴金属酸化物系」であるIrO2系は含まないと解釈するのが合理的である。なお、引用例2の執筆者と同一人の執筆に係る甲第15号証(電気化学協会ソーダ工業技術懇談会昭和57年11月15日発行「第6回ソーダ工業技術討論会講演要旨集」69頁ないし74頁)によれば、当時の技術水準としては、硫酸電解に適した陽極の被覆材料としてIr、Pt、Rh等の貴金属のみが認識されており、IrO2等の貴金属酸化物は全く認識されていなかったことが明らかであるが、この事実も、上記解釈を裏付けるものである。

この点について、被告は、「従来から、酸化イリジウム(中略)が被覆層として使用されていたこと」の裏付けとして、乙第1ないし第4号証、第6ないし第8号証を援用する。

しかしながら、乙第6号証(昭和46年特許出願公告第21884号公報)には、硫酸電解に適した陽極の被覆材料として、酸化イリジウムのほかに金の酸化物や酸化ルテニウムで被覆された電極が挙げられており、酸化イリジウムが最適の被覆材料であるとの知見は開示されていない。また、乙第7号証(昭和48年特許出願公告第3954号公報)には、酸化イリジウムで被覆した陽極が硫酸系のみに格別優れていることの記載は存しないし、酸素発生用の硫酸電解においては酸化イリジウムよりも酸化ロジウムの方が優れた陽極被覆材料と認識していると理解できるから、これらの刊行物の記載は、引用例2記載の技術内容の理解に影響を及ぼすものではない。なお、乙第1ないし第4号証及び第8号証は、引用例2の頒布後に頒布された刊行物であるから、これらを引用例2記載の技術内容を理解する資料とすることは許されないというべきである。

〈3〉 本件発明の作用効果について

本件発明によれば、18μという極めて薄い電解銅箔であっても、ピンホールあるいは異常析出物がなく、幅方向の箔厚むらのないものの製造が可能である。このことは、甲第8号証(原告ら作成に係る実験報告書)及び第9号証(田村英雄作成に係る意見書)によって明らかである。本件発明が奏するこのような顕著な作用効果は、陽極の被覆材料として酸化イリジウム系を採用したことによって得られたものであり、これをもって、「当業者の予測しうる範囲のもの」ということはできない。

第3  請求原因の認否及び被告の主張

請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本件発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。

1  審判手続について

原告らは、引用例1の記載事項と引用例2の記載事項とを組み合せることについて意見を申し立てる機会を与えられておらず、審決が引用例2から採用した記載部分についても意見を申し立てる機会を与えられていないと主張する。

しかしながら、被告は、審判請求書(甲第16号証)において「本件特許発明は、甲第1号証ないし甲第6号証刊行物(註・甲第1号証が引用例1、甲第3号証が引用例2)に記載された発明に基づいて容易に発明をすることができたものである」(4頁11行ないし13行)と主張するとともに、甲号各証刊行物の全文を提出している。もっとも、審判請求書には、甲号各証の組合せの幾つかが例示されるとともに、甲号各証の引用箇所も例示されているが、例示以外の甲号各証の組合せ、及び、例示箇所以外の記載の引用を除外するものではない。現に、原告らは、審判事件答弁書(甲第17号証)において、「甲第3号証は酸化イリジウムを含む被覆を有する電極を開示していない」(16頁3行、4行)、「本件特許発明と同一の発明は甲第1号証~甲第6号証のいずれにも記載されておらず、またこれらの証拠のいずれからもあるいはいずれの組み合せからも本件特許発明は容易に発明できたものではなく」(17頁6行ないし10行)と答弁しているのである。したがって、原告らには、引用例2から審判が採用した記載部分、及び、これを引用例1記載の技術的事項と組み合せることについて、十分に反論の機会があったのであるから、審判手続の違法をいう原告らの主張は、失当である。

ちなみに、審決は対世的効力を有し第三者の利害に大きく関わるので、審判手続には職権探知主義が採用されているのであるから、特許法153条2項の規定違反の有無も、審判手続に職権探知主義が採用されている趣旨に従って判断されるべきである。

2  引用例1記載のものに基づく本件発明の構成の推考困難性について

原告らは、引用例1は電解銅箔製造装置における陽極の被覆材料として合計155種類のものを実験的裏付けもなく全く同列に挙げているが、これらの金属酸化物には技術的に何らの共通性も見出すことができず、しかもその中には陽極の被覆材料としてはおよそ使用できないタンタルの酸化物等も含まれているから、引用例1の記載から酸化イリジウム系のみが陽極の被覆材料に適すると想到することは当業者といえども不可能であると主張する。

しかしながら、本件発明と引用例1の記載とを対比すれば、引用例1記載の技術的事項の目的及び効果は本件発明のそれと実質的に同じであり、引用例1が挙げている陽極の被覆材料には、タンタル単体の酸化物を除けば、いずれも白金族金属の酸化物が含まれているから、引用例1には、「電解銅箔製造用の陽極として白金族金属の酸化物を被覆したものを用いる」という技術的思想が、明確に開示されているというべきである。そして、引用例1には、白金族金属の酸化物の1として酸化イリジウムが明記されているのであるから、引用例1には「弁金属からなる陽極基体を酸化イリジウムの被膜で被覆することが開示されて」いるとした審決の認定は、正当である。

3  引用例2記載の技術内容について

(1)原告らは、引用例2には電解銅箔の製造装置における陽極の被覆材料については何らの示唆もなされていないし、「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である。」(74頁左欄33行ないし35行)という記載も、これに続く「これらの貴金属および貴金属複合酸化物系でコーティングした場合は、溶液中のわずかな(中略)有機物の存在で急速に侵される。(中略)今後の究明と改良が要望されている。」(74頁左欄35行ないし40行)という記載と相俟って、その使用可能性が否定されていると主張する。

しかしながら、上記の後者の記載は、貴金属と貴金属複合酸化物系とに共通する問題として記述されているのであって、IrO2系に限定して記述されているのではないから、「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である。」という開示を左右するものではない。

(2)また、原告らは、引用例2の「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である。」(74頁左欄33行ないし35行)の「IrO2系」は「Ir系」の誤記であると主張する。

しかしながら、原告らがその主張の論拠とする「チタニウムのはん用性や表面のRuO2が水銀法ソーダ電解ではベストなコーティング材である有利さがあっても、食塩濃度の低い海水電解や、次亜塩素酸ソーダの電解製造などでは塩素発生効率の低下、耐久性などで不満が現われ、Ir系やPdO系に劣っている。また酸素発生時には耐久性がなく」(74頁左欄28行ないし33行)という記載は、塩酸系の電解液を用いて塩素を発生させる(したがって、酸素発生反応に対する過電圧は高いことが要求される)場合に関するものであるのに対し、この記載に続く「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である」(同欄33行ないし35行)という記載は、硫酸系の電解液を用いて酸素を発生させる(したがって、酸素発生反応に対する過電圧は低いことが要求される)場合に関するもAのである。このように、両者は電解液及び発生するガスが明確に異なるのであるから、適する陽極の被覆材料が異なるのも当然のことである。そして、電流密度が同じであれば、貴金属系のどのような電極を使用しても酸素発生量は同じであって、酸素発生量から電極の耐久性を判断することはできないから、酸素が極めて腐食性が強いものであることを理由として引用例2の74頁左欄28行ないし35行を独自に解釈し、34行の「IrO2系」とは32行の「Ir系」のことであるという原告らの前記主張は失当である。

ちなみに、「従来から、酸化イリジウム(中略)が被覆層として使用されていたこと」は、昭和60年特許出願公告第22074号公報(乙第1号証。審判手続における甲第4号証)、昭和60年特許出願公告第21232号公報(乙第2号証。審判手続における甲第5号証)、昭和58年特許出願公開第171589号公報(乙第3号証。審判手続における甲第6号証)、丸善株式会社昭和60年1月25日発行 電気化学協会編「第4版 電気化学便覧」270頁表8.11(乙第4号証)、昭和46年特許出願公告第21884号公報(乙第6号証)、昭和48年特許出願公告第3954号公報(乙第7号証)及び電気化学協会ソーダ工業技術委員会昭和58年11月15日発行「第7回ソーダ工業技術討論会講演要旨集」25頁ないし30頁(乙第8号証)によって明らかなように、本件出願前はもとより、引用例2の頒布前においても周知である。とりわけ、引用例2と同一の執筆者 (高橋正雄)の執筆に係る乙第8号証には、「白金族金属三者の中で最も消耗が大きいイリジウムは安定な酸化物にすれば極めて優れた耐久性が賦与されることが知られている。」(25頁22行、23行)及び「白金族被覆チタニウム電極の中で酸素発生アノードとして商業的に実用できそうな電極は酸化イリジウム系被覆電極である。」(30頁下から13行ないし11行)と明記されている。これに反し、同一の執筆者の執筆に係り、原告らが援用する甲第15号証(乙第8号証の前年に発行されたもの)は、電極の改良・開発にとって重要な問題点の基礎となる初歩的な事項を紹介したものであり、原告らが主張するような「硫酸電解に適した陽極の被覆材料として貴金属のみが認識されており、貴金属酸化物は全く認識されていなかったこと」に副う記載は全く存在しない。

なお、原告らは、乙第1ないし第4号証及び第8号証は引用例2の頒布後の刊行物であるから、引用例2記載の技術内容を理解する資料とすることは許されないと主張する。しかしながら、引用例2が頒布された当時、酸化イリジウムを被覆した電極が周知であったことの技術水準を認定する資料として、その後に頒布された刊行物の記載を参酌することは当然に許されるべきであるから、原告らの上記主張は失当である。

4  本件発明の作用効果について

前記のとおり、本件発明と引用例1記載の技術的事項とを対比すれば、引用例1記載の技術的事項の目的及び効果は、本件発明のそれと実質的に同じである。したがって、「本件発明の効果も、当業者の予測しうる範囲のものである。」とした審決の判断に、何ら誤りはない。

第4  証拠関係

証拠関係は本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第1  請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本件発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告ら主張の審決取消事由の当否を検討する。

1  成立に争いのない甲第2号証(特許公報)及び第3号証(特許法第64条の規定による補正の掲載。以下、「補正掲載」という。)によれば、本件発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が下記のように記載されていることが認められる(別紙図面参照)。

(1)技術的課題(目的)

本件発明は、プリント配線基板用の銅箔を、電気めつき法で製造する装置に関するものである(公報1欄9行、10行)。

プリント配線基板は多方面かつ大量に採用されているが、従来は35μ箔が主流であったのに対して、電気回路の細密化に伴い、最近は18μ箔に代表される薄物箔の需要が増大しつつある(同1欄13行ないし17行)。

しかし、18μの薄い電解銅箔の製造に際しては、ピンホール等の点欠陥が35μ箔に対してはるかに発生しやすい。銅箔にピンホールが存在する場合は、積層板のプレス工程においてエポキシあるいはフエノール等の樹脂が、ピンホールを通して銅箔側に浸み出して不良となる。また、異常析出物(いわゆるザラ)が電析した銅箔を用いて積層板をプレスすると、異常析出物がエポキシ等の樹脂層内に食い込んだ形となり、エッチング後、樹脂層中に銅が残存し、シヨート等の事故を起こす可能性がある。このように、プリント配線基板用の銅箔の製造に当たっては、ピンホール・異常析出物等の点欠陥が発生しないように、特に留意する必要がある(同1欄18行ないし2欄3行)。

電解銅箔の製造装置は、陰極としてTiもしくはSUS製回転円筒体を用い、陽極としてはほぼ1/4円周の鉛板を2枚、下方に設置して用い、この間に電解液が流れる構造であって、この装置に直流電流を流して陰極に銅を析出させ、この析出銅を連続的に剥離し巻き取っている(同2欄4行ないし9行)。

従来、一般に用いている陽極は、PbもしくはPbとSb、Sn、Ag、In、Caその他の二元あるいは多元合金であるため、陽極表面に生成した酸化鉛が、電解浴中にPbイオンとして溶け込み、電解浴中の硫酸イオンと反応して硫酸鉛を形成し、浴中に懸濁する。この硫酸鉛のスラッジは、濾過器を設置して除去しているが、この保守作業に多大な労力を要するうえ、電解槽や配管の内壁面に堆積して、液の流れに悪影響を及ぼす。さらに、陰極ドラムに硫酸鉛のスラツジが付着した場合、その箇所にピンホールもしくは異常析出物等の点欠陥が発生するが、これは銅箔の致命的欠陥である(2欄9行ないし21行)。

また、鉛系電極を使用した場合、電流集中とかエロージヨンにより、局部的に鉛が損耗するため、極間距離が場所により異なってくる。この対策として、定期的に鉛陽極の表面を切削しているが、製造稼働率の低下もさることながら、極間距離の増大のため、槽電圧の上昇、すなわち製造コストの上昇につながる(同2欄22行ないし28行)。本件発明は、従来法では完全に解決しえなかった

〈1〉 硫酸鉛のスラツジに起因するピンホール及び異常析出物の発生

〈2〉 鉛の損耗により極間距離が不均一となり、そのことにより生ずる幅方向の厚みむら

に対処することを目的とするものであって、〈1〉及び〈2〉は、18μ等の薄箔の製造においては収率、品質に特に大きく影響するものである(同3欄2行ないし9行)。

(2)構成

上記の技術的課題(目的)を解決するために、本件発明はその要旨とする構成を採用したものであって(補正掲載の記1行ないし3行)、電解銅箔の製造装置において、Ti、Ta、Nb、Zrの弁金属基体表面に、酸化イリジウムを含有する被膜を被覆した電極を不溶性陽極として使用することを特徴とする(公報3欄11行ないし15行、補正掲載の記4行)。

(3)作用効果

本件発明によれば、ピンホールとか異常析出物がなく、しかも幅方向に箔厚むらのない電解銅箔の製造を可能にするものであり、したがって電解銅箔の品質向上ならびに製造歩留まりの改善に多大に寄与することができる(公報4欄27行ないし32行)。

2  審判手続について

原告らは、引用例1の記載事項と引用例2の記載事項とを組み合せることについて意見を申し立てる機会を与えられておらず、審決が引用例2から採用した記載部分についても意見を申し立てる機会を与えられていないと主張する。

しかしながら、審決には、「引用例1において、電極基体となる弁金属の中で、好ましいものとして挙げられているTi[摘示d参照]は、本件発明に含まれるものであり、かつ、硫酸系溶液では酸化イリジウムが好ましい旨、引用例2に記載されているのであるから、基体としてのTiと被膜としての酸化イリジウムとを組み合わせることが、実質的に不可能であるほど困難であるということはできない。」との記載が存する。この記載を前提として、「引用例1には、“陽極を弁金属から成る基体と、該基体上に付着した、白金、ルテニウム、ロジウム、タンタル、イリジウム、パラジウム、オスミウムなどの酸化物の単体または混合体のような金属酸化物層(中略)を含む、実質上寸法的に安定な構造体として構成することが可能であることが見出された”[摘示c参照]とあるように、(中略)弁金属からなる陽極基体を酸化イリジウムの被膜で被覆することが開示されており、しかも、引用例1の電解銅箔製造装置においても、電解液は硫酸系であるから[摘示f参照]、この引用例1の開示に“硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である”との引用例2の上記記載を加味して、列挙的に挙げられた金属酸化物の中から酸化イリジウムを選択して被膜とすることは、当業者ならば特段の創意工夫なくして容易に想到するところである。」という審決の判断を解釈すれば、審決の判断の趣旨は、「引用例2記載の技術的事項を踏まえて考えると、引用例1のcの記載から「酸化イリジウム」を選択して、同じ引用例1のdの記載事項と組み合せることには困難性がない」というものであると理解するのが相当である。

すなわち、審決は、引用例2を、引用例1に「列挙的に挙げられた金属酸化物の中から酸化イリジウムを選択」することが、当業者であれば容易になしえたことを裏付ける本出願当時の技術水準を示す資料として位置付けている(換言すれば、審決は、本件発明の進歩性を判断するに当たり、引用例1と引用例2とを同列の刊行物として位置付け、引用例1の記載事項と引用例2の記載事項とを組み合せれば本件発明の構成が容易に得られるとしているのではない)と考えるべきである。そして、引用例2は、本件出願の6年以上も前に頒布された刊行物であり、かつ、いずれも成立に争いのない乙第1ないし第4号証、第6ないし第8号証によれば、引用例2の頒布後から本件出願までの間には、硫酸系電解における陽極被覆材料としては酸化イリジウムが優れていることを示す刊行物が多数存在することが明らかである。

すなわち、乙第1号証(昭和60年特許出願公告第22074号公報。昭和60年5月30日出願公告)には、「酸素発生を伴う電界に特に適したものとして、白金族金属酸化物又は該酸化物と弁金属酸化物との混合酸化物があり、それらの代表的なものとして、Ir酸化物、Ir酸化物-Ru酸化物、Ir酸化物-Ti酸化物、Ir酸化物-Ta酸化物、(中略)Ir酸化物-Ru酸化物-Ta酸化物、Ru酸化物-Ir酸化物-Ti酸化物等を例示することができる。」(5欄43行ないし6欄6行)と記載され、実施例1及び2(6欄40行ないし8欄1行)には、Ir酸化物を電極活性物質とする電極が長時間の使用に耐えることが記載されており、乙第2号証(昭和60年特許出願公告第21232号公報。昭和60年5月25日出願公告)の5欄36行ないし6欄2行及び7欄29行ないし10欄11行にも、ほぼ同様の事項が記載されていることが認められる。また、乙第3号証(昭和58年特許出願公開第171589号公報)には、「硫酸酸性の電解溶液中での電解や次亜鉛素酸ソーダの発生で使用されている海水の電解、又、低塩素イオン濃度溶液中での電解等で望ましい担持物成分は酸化イリジウムである。」(3頁右下欄7行ないし10行)と記載されていることが認められる。

次に、公刊の技術文献である乙第4号証(丸善株式会社昭和60年1月25日発行 電気化学協会編「第4版 電気科学便覧」)の270頁表8.12「白金族元素のアノード特性」には、硫酸溶液中におけるアノード損耗量はIrO2が際立って少なく、2番目に少ないPtOの1/30と抜群の耐久性を示すこと(これに反し、Irのアノード損耗量はIrO2の7000倍であること)が記載されている。さらに、乙第6号証(昭和46年特許出願公告第21884号公報)の12欄28行以下には、実施例Ⅵとして、イリジウム酸化物-ジルコニウム酸化物の被膜で被覆した陽極が記載され、「このようにして造られた陽極は総て電極工程に、とりわけ硫酸溶液や硫化物の溶液の電解に非常に適していた。」(12欄43行ないし13欄1行)と記載され、乙第7号証(昭和48年特許出願公告第3954号公報)には、「電解液と電気分解生成物との双方に化学的に極めて良く耐える層をこれら白金金属やその合金を金属状態でなくてその酸化物の形で用いることによって構成することが出来るということを意外にも見出したものである。」(2欄20行ないし24行)、「酸化イリジウムと酸化マンガンで被覆したチタン心は、(中略)硫酸溶液などの電極用陽極として使用することができ、金属イリジウムで被覆した心よりもはるかに化学抵抗がすぐれている。」(11欄14行ないし18行)と記載されていることが認められる。なお、乙第8号証(電気化学協会ソーダ工業技術委員会昭和58年11月15日発行「第7回ソーダ工業技術討論会講演要旨集」)の25頁以下は、引用例2の執筆者と同一人(高橋正雄)の執筆に係るものであるが、「塩素発生アノードとしてその過酷な条件下で驚異的な耐久性と合目的な電極触媒能を誇る酸化ルテニウム系および酸化パラジウム系被覆チタニウム電極は酸素発生アノードとしては全く役に立たないので新電極の開発が必要であり酸化イリジウム系が期待されている。」(25頁11行ないし13行)、「白金族金属三者の中で最も消耗が大きいイリジウムは安定な酸化物にすれば極めて優れた耐久性が賦与されることが知られている。」(25頁22行、23行)、「酸化イリジウムの酸素過電圧は白金族酸化物の中で酸化ルテニウムとともに最も小さく」(29頁29行、30行)、「白金族被覆チタニウム電極の中で酸素発生アノードとして商業的に実用できそうな電極は酸化イリジウム系被覆電極である。」(30頁下から13行ないし11行)と明記されていることが認められる。

このように、引用例2記載の「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である」ことは、本件出願当時における技術常識であるというべきである。

以上のとおり、審決は、引用例1記載の技術的事項に基づいて本件発明の容易推考性を判断するに当たり、引用例2を本件出願当時の技術水準を裏付けるための資料として採用したものと考えるべきである。

したがって、審決が無効審判請求において申し立てられていない引用例1の記載事項と引用例2の記載事項とを組み合わせて本件発明の容易推考性を判断するに当たり、審判被請求人らに意見を述べる機会を与えなかった手続違背があるとする原告らの主張は、その前提において誤りがあり、採用できない。また、成立に争いのない甲第16号証(審判請求書)によれば、同請求書の「特許無効の理由の要点」には、引用例2の73頁左欄21行ないし26行の記載のみが引用されているが、審判請求人(被告)が本件発明に係る特許を無効とする主張を立証するための「証拠方法」として審判請求書に添付した証拠には、審決が引用した引用例2の全記載(73頁、74頁)が含まれていたのであるから、審決が引用例1の記載事項に基づいて本件発明の容易推考性を判断するに当たり、引用例2の前記記載事項を出願当時の技術水準を参酌するための資料として採用することは当然に許されることであって、その点について、改めて審判被請求人らに意見を述べる機会を与える必要はないというべきである。

よって、本件の審判手続には原告ら主張のような違法は存しない。

3  進歩性の判断について

(1)引用例1記載のものに基づく本件発明の構成の推考困難性について

原告らは、引用例1は電解銅箔製造装置における陽極の被覆材料として合計155種類のものを実験的裏付けもなく全く同列に挙げているが、これらの金属酸化物には技術的に何らの共通性も見出すことができず、しかもその中には陽極の被覆材料としてはおよそ使用できないタンタルの酸化物等も含まれており、当業者が参考とするに足りない杜撰な内容のものであるから、引用例1の記載から酸化イリジウム系のみが陽極の被覆材料に適すると想到することは当業者といえども不可能であると主張する。

しかしながら、当業者間に争いのない審決認定の引用例1の記載事項によれば、引用例1には、審決認定のbに摘示された陽極表面上の孔の生成、陽極の腐食あるいは磨損等の欠陥を解消するため、同cに摘示された酸化イリジウム系を含む白金族金属の酸化物を被覆材料とすることが開示されており、引用例1に開示されたものの技術的課題は、実質的にみて、本件発明のそれと共通するところがあり、しかも、同fに摘示された事項には、「例」として、電極銅箔の製造に当たって使用した電極、電解液及び電流密度等の製造条件、並びに得られた銅箔の品質について具体的な開示がなされているから、そこに記載された陽極の被覆材料について体実験的な裏付けを伴っているということができる。原告らが引用例1記載の陽極の被覆材料合計155種のうち使用できないとするのは、タンタルの酸化物単体のみであって、引用例1の上記記載に照らすと、そのことから直ちに引用例1が当業者が参考にできないような杜撰な技術文献ということはできない。

そうであれば、当業者において、本件発明の前記技術的課題を解決するために、引用例1記載の陽極の被覆材料である白金族金属の酸化物から酸化イリジウム系を選択することに格別の困難があったとすることはできない。

(2)引用例2記載の技術内容について

〈1〉 原告らは、「硫酸系溶液では酸化イリジウムが好ましい旨、引用例2に記載されている」とした審決の認定は誤りであると主張する。

検討するに、審決は、前記のように、引用例2の73頁左欄19行ないし36行、及び、73頁右欄(註を除き)下から7行ないし74頁左欄5行の記載を引用したうえ、「このことから、本件発明と同じくチタン基体表面に貴金属酸化物を被覆した電極には、従来から、酸化イリジウムを含めて、種々の貴金属酸化物が被覆層として使用されていたことが知られる」と判断している。しかしながら、成立に争いのない甲第5号証によれば、上記の引用箇所は、「3 ソーダ電解にみられる電極材料の最近の進歩」という小題の項における記載であり、かつ、ここには陽極被覆材料として「酸化イリジウム」が明記されている箇所は全く存在せず、ただ、74頁左欄2行に「Pt-Ir系」及び「Pt-Ir-Rh系」という用語が記載されているのみであることが認められる。したがって、審決が、上記の記載部分を根拠として、「従来から、酸化イリジウム(中略)が被覆層として使用されていたことが知られる」と判断したことは、それが電解銅箔の製造装置に限定されていない点を斟酌しても、なお正しいとはいい難い(もっとも、審決のこの判断は、単に上記引用箇所の内容を要約したものにすぎず、この判断が本件発明の進歩性を否定した審決の結論の直接の論拠となっているわけではない。)。

しかしながら、前掲甲第5号証によれば、引用例2には、「4 新しい電極材料開発の動向」という小題の項に、「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である。」(74頁左欄33行ないし35行)と記載されていることが認められ、かつ、この記載を誤記と解する理由がないことは下記のとおりであるから、「硫酸系溶液では酸化イリジウムが好ましい旨、引用例2に記載されている」とした審決の認定は正当である。

この点について、原告らは、上記の「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である。」という記載は、これに続く「これらの貴金属および貴金属複合酸化物系でコーティングした場合は、溶液中のわずかな(中略)有機物の存在で急速に侵される。(中略)今後の究明と改良が要望されている。」(74頁左欄35行ないし40行)との記載部分と相俟って、貴金属および貴金属複合酸化物系は硫酸系においてはいずれも耐蝕性に欠けるものとして使用可能性が否定される趣旨であると主張する。

しかしながら、上記記載部分にいう「これらの貴金属および貴金属複合酸化物系」が、それまでに具体的に開示されている種々の「貴金属および貴金属複合酸化物系」全体を指し示すものであって、「IrO2系」に限定して論じているものではないことは明らかであるから、上記記載部分は、「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である。」と明言している引用例2の論旨を直ちに左右するものではないと解するのが相当である。

〈2〉 さらに、原告らは、引用例2の「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である。」という上記記載の「IrO2系」は、「Ir系」の誤記であると主張する。

しかしながら、例えば「IrO」というような記載ならば「Ir」の誤記と考える余地がないとはいえないが、「IrO2」はイリジウムの酸化物として安定に存在する化学物質であり、それ自体明確な技術用語であるから、これを「Ir」の誤記であると解する余地は全く存在しない。

ちなみに、原告らは、引用例2の「チタニウムのはん用性や表面のRuO2が水銀法ソーダ電解ではベストなコーティング材料である有利さがあっても、食塩濃度の低い海水電解や、次亜鉛素酸ソーダの電解製造などでは塩素発生効率の低下、耐久性などで不満が現われ、Ir系やPdO系に劣っている。また酸素発生時には耐久性がなく、硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である。」(74頁左欄28行ないし35行)という記載において、「IrO2系」が文脈の最後に唐突として現われるのが不自然であることを、「IrO2系」が「Ir系」の誤記であることの論拠としている。

しかしながら、引用例2の上記記載の前段が海水電解あるいは次亜鉛素酸ソーダの電解製造における陽極被覆材料について論じているのに対し、後段は硫酸系電解における陽極被覆材料について論じていることは明らかであるから、前段の「Ir系」と後段の「IrO2系」とが、同一のものを指称していると考えねばならない必然性は全く存在せず、原告らの主張は失当である。

また、原告らは、引用例2の執筆者と同一人の執筆に係る甲第15号証(昭和57年11月15日発行)によれば、当時の技術水準としては、硫酸電解に適した陽極被覆材料としては貴金属のみが認識され、貴金属酸化物は全く認識されていなかったと主張する。

しかしながら、成立に争いのない甲第15号証によれば、同号証は「不溶性アノードとしての白金族金属の特徴」と題する講演要旨であって、「白金族の金属(白金、イリジウムおよびロジウム)とその合金、白金族酸化物(酸化ルテニウム、酸化パラジウムおよび酸化イリジウム)とその複合酸化物などをチタニウム電極基体の表面に被覆した電極材料がソーダ電解、海水電解のような「塩素発生」および芒硝電解のような「酸素発生」を行う工業電解に大規模に採用されて、(中略)時代の要請に応えている。」(69頁4行ないし7行)としたうえ、「本報告は、電極の改良・開発にとって重要な(中略)初歩的な事項を紹介する。検討を加える試験結果としては、最も単純なものを選び、白金族の中で金属の状態のまま酸素あるいは塩素発生のアノードとして耐久性のある白金、イリジウムおよびロジウムの線材を試験電極とし」(同頁11行ないし14行)と記載されていることが認められる。したがって、同号証に貴金属の物性のみが記述され、貴金属酸化物の物性が記述されていないのは当然のことであって、原告らの上記主張は筋違いといわざるをえない。

〈3〉 以上のとおり、引用例2記載の技術内容に係る審決の認定にも誤りはなく、したがって、引用例1の開示に「引用例2の上記記載を加味して、列挙的に挙げられた金属酸化物の中から酸化イリジウムを選択することは、当業者ならば特段の創意工夫なくして容易に想到するところである。」とした審決の判断は、正当である。

(3)本件発明が奏する作用効果について

原告らは、本件発明によれば18μという薄い電解銅箔であってもピンホールや異常析出物がなく、幅方向の箔厚むらのないものの製造が可能であって、審決はこのように顕著な本件発明の作用効果を看過していると主張する。

しかしながら、前掲甲第4号証によれば、引用例1には、例示した条件(78頁左欄19行ないし28行。陽極被覆材料はNaPt304(同欄21行)である。)の下で得られた「箔の品質は優れており、ノジュールや孔は存在しなかった。800時間のメッキ後も、電圧は同じに保たれ、そして箔の品質は変化せず維持された。」(同欄29行ないし32行)と記載されていることが認められる。したがって、原告ら主張の上記作用効果は、本件発明に特有のものとはいえない。

のみならず、そもそも引用例2に「硫酸系ではIrO2系が貴金属系唯一のコーティング材料である。」(74頁左欄33行ないし35行)という記載が存在する以上、電解銅箔の製造装置の陽極被覆材料としてIrO2を採用することによって得られるであろう作用効果の顕著性は、当業者ならば当然に理解しうる事項というべきである。

よって、「本件発明の効果も、当業者の予測しうる範囲のものである。」とした審決の判断にも、誤りはない。

4  以上のとおりであるから、本件発明は特許法29条2項の規定に違反してなされたものであり、同法123条1項1号に該当するとした審決の認定判断は正当であって、審決には原告ら主張のような誤りはない。

第3  よって、審決の取消しを求める原告らの本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、93条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)

別紙図面

11…陰極 12…陽極 13…巻取機構 21…銅箔

〈省略〉

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